シベリア抑留
私の母の父、私にとったらおじいちゃんは
私が小さい時に亡くなった
おじいちゃんはいつも笑っていて
笑った顔しか浮かばないくらいいつもニコニコしていた
怒った顔も見たことがない
そんなおじいちゃんの衝撃の過去が最近母の口から聞いた
シベリア抑留に行ってた話だ
私はシベリア抑留は知っていた
戦争が終わってもたくさんの日本人がロシアの捕虜になり過酷な労働を課せられてたくさんの日本人が異国の極寒の地でなくなってたから
粗末な食べ物に過酷な労働で餓死していったものが殆ど
長男の高校の夏休みの読書感想文も私も手伝ったから良く覚えている
まさか自分のおじいちゃんがそんな経験をしていたなんて
あの何が起こっても動じないのは
地獄を味わったからだったんだと
思った
帰ってきてどんなことがあってもおじいちゃんにとってはシベリアより辛いことはないから笑顔でいれたのかもしれない
おじいちゃんは高校受験で
遅刻したの仕方ないので観光して帰ったような性格にわたしの父が何度か話してたのを覚えているし
会社を経営してたけど大きな不渡りをつかまされて会社が潰れていた
そんな経験をしてたけどおじいちゃんにとっては
シベリアの時代より辛いことはなかったかも
おじいちゃんはたぶんあの世で私達を見守ってくれていると思います